ちょっとぐらいはセーリングできるかなと港に来てみたが…
この後,風が吹いてもせいぜい4ktどまりかな。
港は休み。水揚げ場に移動して清水タンク補給とデッキ洗いでもしよう。
アンカーロッカーに入っている舫ロープにもたっぷり水をかけておく。
バースに戻り,ロープを広げて乾かす。
ついでにバウアンカーの点検。
チェーンがアンカーから外れたままだった。取り付けようとするが,シャックルが錆さびで外すこともできない。ハンマーでピンを叩き,ネジを甘くして,プライヤーとペンチでキコキコやるとようやく回った。
根掛かり対策ロープをアンカーロープに軽く縫い付けておく。
3ポイントリーフロープは,長さが1mほど足りずドグハウス上のウインチに届かないので継ぎ足している。リーフする時には手元に手繰り寄せればいいだけなので,通常は荷重がかかる心配は皆無だが,なんだかみっともない。赤の8mmロープがあったので交換しておく。
作業半ばで『COSMO』艇長から,
「蕎麦ができたからおいで。」
と誘われる。餅入りの温かい,かちんうどんならぬかちん蕎麦,ごちそうさまでした。
数十分の休憩後,昼寝をしたいがセールは中途半端にずらしたパンツのようにマストにぶら下がっている。続きをしよう。
今日は風がほとんどなく,おまけに船首方向からなのでセールを揚げるのも楽でいい。ちょっと行儀の悪いスライダーもグルーブ蓋に食い込まないで素直に上下している。
1,2,3ポイントとロープの点検を兼ねて2,3度揚げ下げした。風が強い時に多用するのは僕の場合2ポイントリーフ(通常の3ポイント)であるが,ブームの中を通っているそれが切れちゃちょっと困る。問題はないようだ。
明後日が乗り納めになるかなあ,それにしても年末年始に在宅するなんて50年ぶりのことだ…いや,1992年は家にいたか。
同志社のNは卒業後,就職で愛知に行った。そのNと仙丈ヶ岳岳沢のアイスクライミングをさくっと終え,大仙丈ヶ岳の頂上でツェルトを張ったのは気分のいい夕方と朝を迎えるためだった。
翌朝,たった三歩進んだ所で右足のリジットアイゼンが外れる(ちなみにこのアイゼンは僕の周囲だけでも3名が外れる目にあっているのだが,氷瀑を登っている途中で外れた奴もいる)。こりゃいかんわと左足で氷結した雪面に蹴り込む。スリップは免れたが,ボキッと鈍い音がして左足首に激痛が走る。
「折れとるな…」
「折れとったら歩かれへんでえ。」
と慰めにもならない言葉をNが発する。救援依頼なんてして,ヘリで山梨側に運ばれたとしたら(長野県側)仙流荘そばの駐車場に置いてある車に行くのに苦労する,なんとしても自力で降りて欲しいのが本意だったようだ。もっともSOSを出す気はさらさらない。
靴をギンギンに締め上げ歩こうとするがなかなか厳しい。ザックはNが背負ってくれている。ピッケルを杖にと言いたいところだが45cmのアイスバイルでは用をなさない。苦労しながら歩いていると北沢峠から登ってきた大学山岳部の学生がピッケルを交換しましょうと言ってくれる。彼らのそれは高校時代のクラブ部室にあった8〜90cmの立派なウッドシャフトピッケルだ。返却は北沢峠。好意に甘える。ありがとう。
尻セード兼用で峠に着いたのは数時間後だった。あ〜長かったし痛かった。不本意だが小屋泊まりも仕方がない。ある登山者からシップ薬をたくさんいただく。ありがとう。
寡雪で林道を小屋の軽トラが上がってきている。翌朝,小屋の親父に下まで乗せてもらう。
ところがこの林道が曲者だった。舗装されているために日中溶けた雪が朝晩は土中に浸み込むことなしに表面で凍っている。一面ガラスのようだ。後輪チェーンだけではハンドルも切れない。親父が,途中で前輪にもチェーンを嵌めると言う。手伝うために荷台に乗っていたNが林道に降りると,悲しいかなビブラムソールの登山靴は彼をツッーを滑らせてガードレール間際まで運んでいくクライミングより危険な状況だ。
ようやく下まで降りて,デポした車に到着する。お世話になりました。
豊橋の彼の社宅に置いてあった自分の車に乗り換え大阪まで帰る。マニュアル車でなくてよかった。
まだ年末の28日だ,自宅に着いたのは夕方で近所の整形外科に電話すると,
「今すぐ来い。」
レントゲンを撮ったドクターが嬉しそうに言う。
「折れとるよ。」
どおりで痛いはずや。
…とまあその時以来の年末年始の在宅でございますな。
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