Sunday, November 30, 2008

海へ

 何年か前から海の世界に興味がわき出した。

 Coldillera Blanca(ブランカ山群)での数週間のクライミングを終え帰ってきたLima(リマ)の街の喧噪は何故か懐かしい。パートナーの後藤君と僕は漁師の経営するチChorrillosチョリージョの料理屋Soniaでうまい魚とcerveza(セルベッサ=ビール)をやっていた。Cuscoクスコへと旅だつ彼を見送った後も何度か海岸に足を運んだ。海食崖に太平洋の波が繰り返し繰り返し寄せてくる。ふと,この海からペルーに来たくなった。'96のPeruvian Andes(ペルーアンデス)行の話だ。
 その翌年もPeruvian Andesには空路で訪れた。
 次の機会も空からの旅で,変わったことと言えば,飛行機会社だけだった。
 2003年にも古くからの山仲間とPeruvian Andesにクライミングに出かけた。今までの二人だけの山行と違い,4人でのHuaraz(ワラス,登山ベースとなる街)での生活は楽しい毎日だった。
(ROCK&SNOW number 023に梶山が書いている)

 昔作っていた山のHPがまだHDに残っていた。
Artesonraju(アルテソンラフ)
07/29(TUE)'03 overwork!
 2時起きの4時発である。風が強い。テントに引き籠もるのにかっこうの理由をつけて出発を遅らせる。6時半,明るくなってようやく出発。腹が暖まって緩みだすと糞が出る。この時間ロスが大変大きい。しかし出さないことには仕方がない。
 1ピッチ登って雪質の良さ,傾斜の緩さに今後の登り方を相談する。
「ロープ外す?」
 下降のことを考えてダブルロープを持ってきている。登るのにはシングルで十分だが背負うと重いのでダブルで登っている。この上スタッカットで登るのを止めたら,ロープはザックに収納され重量がもろにひびく。引きずるのも邪魔だし…
「安全に登りましょうか」
 これで決まった。しかし,時間は死ぬほどかかりそうだ。
 壁の中央の方を見ると3人パーティーが登りだした。
 僕たちはといえば,二人とも一生懸命登っているのにさっぱり頂稜が近づかない。気がついてみると飯も食っていない。
「ちょっと休憩しましょうよ」
 二人で休憩したのは結局この1回だけだった。途中,梶山のバイルのボルトが緩んで外れた。さいわいピックは回収している。
 時間はどんどん過ぎていって,とうとう午後の3時を回った。降りる(敗退)タイミングなんてあるはずもない。降りれば明日(の心)は暗い。
 待望の頂上着はなんと17時。ガスで周囲を見下ろすことはできなかったが満足だ。下降は暗くなるだろう。重いカメラをザックに収納する。この明るさでは写真は撮れない。
 やや遅れて3人組も頂稜に着いた。僕たちがさっさと降りようとすると何か言っている。一緒に降りようと言っているのだろうか?
 バイルのシャフトしか使えない梶山が先行してラッペル,支点を回収して僕がクライミングダウン,これを延々と繰り返した。時折残置のSnowBar(スノーバー)があるが,見つけたのは結局3本だけだった。降りたった氷河のゆるい傾斜にとまどい,躓きながらテントに帰ったのは23時を過ぎていた。
「一生懸命登ったのに時間かかったね。やっぱり僕たちヘボやね。」
 二人とも口にする言葉は同じだった。お疲れ様。

 La cara SE del Artesonraju

Alpamayo BC
08/08(FRI)'03 オー雪崩れとる!
 のんびり起きるが快晴。少しもったいない気がする。French Direct(フレンチダイレクト)の取り付きを偵察に行く。少し下ったところで,豪快なSnow shower(スノーシャワー)が落ちる。仕方がないのでQuitaraju(キタラフ)の取り付きを確認に雪原を歩く。しかし暑い。
 テン場に戻り,シュラフを乾し,明日の準備をする。起床は午前2時,出発は4時でいいだろう。隣のスイス人カップルは2時発らしい。
08/09(SAT)'03 Quitaraju N face
 年中行事のように取り付きまでで複数回の脱糞。ハーネスをいちいち外すのが面倒だ。しかし空っぽになった下腹は気持ちがいい。
 クレバスを右へ回避してまた左に戻るとちょうど壁に取り付ける幅の狭まった部分がある。
 ロープ2本に3人がつながり,トップは1ピッチ毎に梶山と僕が交代する。ロープはハーネスに直接巻かずにカラビナにかけているので,トップ交替の際の掛け替えは楽だ。
 下部の雪壁から東側のリッジに乗り越すと傾斜は一段と緩くなる。
「コンテにしましょうか?」
 一応言っておく。が,そんなことすると変に張り合ってしまって疲れるのは分かっている。やっぱりこのままが平穏だ。ピッチ毎に休めるのがいい。
 気がつくとまた一生懸命登っている。大休止だ。ここで食った青リンゴのうまさは最高だった。2時間早く出たスイス人カップルに頂稜手前で出くわす。壁を終え,100mばかり頂稜を行くとそこがsummit(サミット)だ。途中1ヶ所クレバスがあるが運のいいことにつながっている。ラッキーだった。
下 りは残置Snow Barを利用し,3人ともラッペル。降り立ったときは時はまだシャンとしているが,テン場までの道のりが遠く感じられるのはいつもと同じだった。
08/10(SUN)'03 レスト
 たっぷり睡眠をとったようだが,まだまだ眠い。だんだん燃えてきて,今日は早めの夕食,夕方にはシュラフに入り,22時半起きでFrench Directに行くことにする。全くお利口さんな日程だ。
 タイメーは元気なおじさん二人,Photographer=梶山と僕とを見て感心している。そう,体調の悪いタイメーを放っといて二人で登るのである。
08/11(MON)'03 Alpamayo SWFace French Direct
 テントを出たのは24時前だった。クレバスを警戒して途中でアンザイレン。かすかに残ったトレースを外すと膝まで埋まる。昨夜は20時頃まで雪が降っていたのだ。しばらく歩くと便意を催す。今日も年中行事が始まった。
「梶山さん,糞っ,糞っ,ちょっと待って」
 梶山も負けてはいない。雪壁を登って行ったがさっぱりロープが引かれない。彼の姿も見えない。
「どこにおんの?」
いた,いた。シュルントとの隙間の少し平らなところでやっぱり糞をたれていた。
「取り付きは下の方がよかったですよ」
 少し戻って,梶山がトップで取り付く。微妙なバランスで乗越した。ハングの部分はアックスが決まるがその上の雪壁はグサグサだ。俺はテンションしてしまっている。ゴボウで登る。最初からこうすればよかった。
 ここからは'95年に大崩壊した雪壁を2ピッチ半登って,ようやくアイスクライミングが始まる。
 グレードは3級ぐらいだろう。(氷の)質は,表面の10〜15cmぐらいの柔らかい氷を叩き割ると,黒く硬い氷が現れる。ここにScrew(アイススクリュー)をかませる。ヘッドライトに照らされた部分だけを頼りに登って行く。
 こんな時刻に真面目に登っている自分をほめてやりたい。梶山が僕の所まで登ってきた。なんだか糞したそう?いつもの二度糞だろう。
「やればいいじゃないですかー。気持ちいいですよ」
 テープでチェストをつなぎ,腰のハーネスをずらす。お願いだから,垂れたロープに垂れた糞を絡まさないでね。一仕事終えた梶山の顔は明るい。これからのクライミングにも精が出る。
 Alpamayoのルートは短い。まもなく終了だろう。最後のフルートは3歩登って2歩ずり下がる根性のなさ。隣のフルートに梶山が乗り移りしばらくしてからビレイオフ。そこはもう頂稜で,ほんの10mも行けば本当のsummitだった。
 トップでの展望を少し楽しむとガスがかかって冷え込んできた。おそらく下降の途中で午後になるだろう。おあつらえ向きの天候だ。これでマッシュルームが崩れる心配も少しは減った。安物のチタンスクリューを残置し,下降のスピードアップをはかる。V字スレッドなんて掘ってられない。
 テントに着いたのは十分なシエスタが取れる時刻だった。

 La cara SO del Alpamayo


 最高にうまいアーティクーチョ(牛の心臓の串焼き)

 メンバーの一人がHPに書いています。

 帰国してすぐの9月に届いた定期購読の『岳人』(山の雑誌)のあるページに,サンナビキ同人の和田さんが操るSK31の記事が載っていた。2001年の忘年会で,和田さんから
「吉田君,ワシ,船の免許取ったで。」
と言われた時も先を越されたと思っていたのだが,この時はまさに頭をがーんと打たれたような気分になった。
 翌2002年には私も船舶免許を取り,ヨットこそは先に買うぞと意気込んでいたのだが…和田さんが艇を購入してからはクルーとして何度も乗せていただいた。
 その艇を2007年5月に高知に回航してからは(ヨットに)乗れない日々が続いた。
 ようやく私も中古艇を所有したわけです。


 クライミングをしている(最近はさっぱりだが…)関係でロープはたくさん持っている。どれも,現役を退いたロープだが,舫や何かには使えるだろうと思って積んでいる。
※クライミングロープはロープ自体が伸びることで墜落のショックを吸収するように出来ている。だから,メインシートやジブシート,ハリヤードには向かない。
 11mm×60Mが3本ある。昨年,1昨年ヨセミテで使ったもの。他の11mm2本は25M〜30Mに切り分けた。どこかの港に行ったとき舫として使えると思う。9mm×50Mと8.8mmの50Mが2本あるが,そのうち1本はすでにこま切れになっている。これで,家に残っているロープは,10mm×60Mと8mm×50Mの2本になった。随分すっきりした。
(クライミング仲間のO氏が使わないロープを1.5本送ってくれた。0.5本という半端な数字は,ジムでのクライミングのために半分に切り分けたから。インドアクラミングでは壁の高さが制限されるので,ロープの長さは25Mで間に合うことが多い。)


 マストに登る時のためにヨットに積んでいる。
 シットハーネス(腰のハーネス)とオートストップ式のビレイ兼下降器(降りるときに使う),アッセンダー(2個でワンセット,ロープを登るのに使う),ディジーチェーン,アブミ(漁港に船を着けたときに岸壁を登る必要もあるだろうかなってことで3セット),スリング,安全環付カラビナ。


 高い所はやっぱり気持ちがいい。

Saturday, November 29, 2008

期限切れはあきません


先日の沼島行きの際のおやつが余っていたので今日の昼飯とした。

おつまみ居酒屋シリーズはベーシストmah氏の持ち込んだ物。捨てるわけにはいかない。
オイオイmahさん期限切れやないか。
実は知ってて食べてみました。やっぱり不味いわ〜。

いい風が吹いていました。


メインセールのフットの弛みが気になる。ゆるゆるのパンツのようだ。

Sunday, November 23, 2008

沼島へ行ってきました 沼島漁港

 前回の寄港は2007年の5月にWaさんのSK31を高知に回航する際で,きれいな山車が出ていたのが印象的だった。

 金曜日の22時にはマリーナに着いた。
 今回同船するmah氏とは以前の職場仲間だが,早いものでもう20年以上の付き合いになる。元もとベーシストだが,なかなかのマルチプレーヤーでもある。彼も22時過ぎに到着した。
 私の山仲間のブンショウ(サバイバル登山家)から送ってもらったばかりの鹿肉の刺身で一杯やっていると,ついつい寝るのが遅くなった。これでは一体何のために夜から泊まっているのか分からんね…

 キャビンで鹿肉を赤星でやっている写真は暗くてぶれていたが,送られてきたこの写真(こちらでトリミングしたが)も粗いね。

 6時に田尻を出たかいがあって,昼過ぎには沼島に着いた。
 木村屋へ寄ってお風呂をお願いすると,夕方ならいいですよと快諾してくれた。ありがたい。
 橋本商店で酒のアテを買い足す。
 お風呂休憩をはさんで,飲み続けた。

 小学生の頃「日本書紀」という本を読んだことを思い出した。

 落ち着いた雰囲気がよかった。

Sunday, November 16, 2008

雨でした

朝から雨だったがマリーナに向かう。
漁港の朝市を覗いている間にもどんどん雨あしは強くなっていく。
昼まで待つと晴れ間は出そうだが…


小さなブロックを買う。


先週はスプレーを浴びて濡れたままだったので,ジブをギャレーの上に置いたまま帰った。今日も使用しなかったのでそのままだ。

Sunday, November 09, 2008

たこカーニバル

午前中は職場で仕事。

「タコカーニバル」はまだやっているのかしらと,電車で漁港まで行った。


駅からこの看板とは気合いが入っている。


本物のタコを見ないでビニール製のタコばかり写真に撮った。結局たこ焼きすら食べずに一体何しに行ったのか分からない。


いい風が吹いていたので,ちょっとだけセーリングした。


イルミネーションが施されていた。

Monday, November 03, 2008

メンテナンスというわけでもないが…

自宅では朝から曇り空で,田尻方面は雨模様のようだ。

以前,携帯電話を買い換えたときにお正月セールでクジを引いた。見事一等賞でポータブルのDVD再生機を手に入れた。
おかげで宝くじには当たらずにその年の運は早々と使い果たしたようだ。
家では見ることがないのでお蔵入り状態だったが,ヨットに持ち込むことにした。
雨の日の暇つぶしにはいいようだ。

帰りに二色ハーバーによって来た。
僕が初めてクルーザーに乗った場所です。

Sunday, November 02, 2008

先月に引き続き 洲本港

 11/1〜2に洲本に行ってきた。
 先月は半分は機帆走だったが,今回は帆走オンリーで行けたので本当に楽しかった。

 『なべ藤』で湯につかってから町を歩いた。洲本城が見える。

 『三平』で飲む。【三平汁】が美味しい。

 手土産をたくさんいただきました。
 ガスランタンは山用の高価なガスボンベを使う物より,こっちの方が圧倒的にいい。少々重くて嵩張るがヨットでは問題にならない。
 ジェットボイルはいつの間にかヨットの装備となってしまった。

 早起きでもないが,7時半に港を出る。

 帰りは関空島の北側を廻る。ここまで来て風が弱くなり,関空橋付近から機走。
 ジェット機の着陸をボケーッとみていたら,にわかに水面が波立ち,ジェット機のエンジンと同じ数だけのつむじ風が襲ってきた。運悪くヨットにぶつかり,一瞬横倒しになった。
これは注意しないといけない。