Coldillera Blancaでの数週間のクライミングを終え帰ってきたリマの街の喧噪は何故か懐かしい。パートナーの後藤君と僕は漁師の経営するチョリージョの料理屋でうまい魚とcerveza(ビール)をやっていた。クスコへと旅だつ彼を見送った後も何度か海岸に足を運んだ。海食崖に太平洋の波が繰り返し繰り返し寄せてくる。ふと,この海からペルーに来たくなった。'96のPeruvian Andes行の話だ。
その翌年もPeruvian Andesには空路で訪れた。
次の機会も空からの旅で,変わったことと言えば,飛行機会社だけだった。
2003年にも古くからの山仲間とPeruvian Andesにクライミングに出かけた。今までの二人だけの山行と違い,4人でのHuaraz(ワラス,登山ベースとなる街)での生活は楽しい毎日だった。
(ROCK&SNOW number 023)
昔作っていた山のHPがまだHDに残っていた。
Artesonraju
07/29(TUE)'03 overwork!
2時起きの4時発である。風が強い。テントに引き籠もるのにかっこうの理由をつけて出発を遅らせる。6時半,明るくなってようやく出発。腹が暖まって緩みだすと糞が出る。この時間ロスが大変大きい。しかし出さないことには仕方がない。
1pitch登って雪質の良さ,傾斜の緩さに今後の登り方を相談する。
「ロープ外す?」
下降のことを考えてダブルロープを持ってきている。登るのにはシングルで十分だが背負うと重いのでダブルで登っている。この上スタッカットで登るのを止めたら,ロープはザックに収納され重量がもろにひびく。引きずるのも邪魔だし…
「安全に登りましょうか」
これで決まった。しかし,時間は死ぬほどかかりそうだ。
壁の中央の方を見ると3人パーティーが登りだした。
僕たちはといえば,二人とも一生懸命登っているのにさっぱり頂稜が近づかない。気がついてみると飯も食っていない。
「ちょっと休憩しましょうよ」
二人で休憩したのは結局この1回だけだった。途中,梶山のバイルのボルトが緩んで外れた。さいわいピックは回収している。
時間はドンドン過ぎていって,とうとう午後の3時を回った。降りる(敗退)タイミングなんてあるはずもない。降りれば明日(の心)は暗い。
待望の頂上着はなんと17時。ガスで周囲を見下ろすことはできなかったが満足だ。下降は暗くなるだろう。重いカメラをザックに収納する。この明るさでは写真は撮れない。
やや遅れて3人組も頂稜に着いた。僕たちがさっさと降りようとすると何か言っている。一緒に降りようと言っているのだろうか?
バイルのシャフトしか使えない梶山が先行してラッペル,支点を回収して僕がクライミングダウン,これを延々と繰り返した。時折残置のSnowBarがあるが,見つけたのは結局3本だけだった。降りたった氷河のゆるい傾斜にとまどい,躓きながらテントに帰ったのは23時を過ぎていた。
「一生懸命登ったのに時間かかったね。やっぱり僕たちヘボやね。」
二人とも口にする言葉は同じだった。お疲れ様。
La cara SE del Artesonraju
Alpamayo
08/08(FRI)'03 オー雪崩れとる!
のんびり起きるが快晴。少しもったいない気がする。French Directの取り付きを偵察に行く。少し下ったところで,豪快なSnow showerが落ちる。仕方がないのでQuitarajuの取り付きを確認に雪原を歩く。しかし暑い。
テン場に戻り,シュラフを乾し,明日の準備をする。起床は午前2時,出発は4時でいいだろう。隣のスイス人カップルは2時発らしい。
08/09(SAT)'03 Quitaraju N face
年中行事のように取り付きまでで複数回の脱糞。ハーネスをいちいち外すのが面倒だ。しかし空っぽになった下腹は気持ちがいい。
クレバスを右へ回避してまた左に戻るとちょうど壁に取り付ける幅の狭まった部分がある。
ロープ2本に3人がつながり,トップは1pitch毎に梶山と僕が交代する。ロープはハーネスに直接巻かずにカラビナにかけているので,トップ交替の際の掛け替えは楽だ。
下部の雪壁から東側のリッジに乗り越すと傾斜は一段と緩くなる。
「コンテにしましょうか?」
一応言っておく。が,そんなことすると変に張り合ってしまって疲れるのは分かっている。やっぱりこのままが平穏だ。pitch毎に休めるのがいい。
気がつくとまた一生懸命登っている。大休止だ。ここで食った青リンゴのうまさは最高だった。2時間早く出たスイス人カップルに頂稜手前で出くわす。僕たちのsummitももうすぐだ。壁を終え,100mばかり頂稜を行くとsummitだ。途中1ヶ所クレバスがあるが運のいいことにつながっている。ラッキーだった。
下りは残置Snow Barを利用し,3人ともラッペル。降り立ったときは時はまだシャンとしているが,テン場までの道のりが遠く感じられるのはいつもと同じだった。
08/10(SUN)'03 レスト
たっぷり睡眠をとったようだが,まだまだ眠い。だんだん燃えてきて,今日は早めの夕食,夕方にはシュラフに入り,22時半起きでFrench Directに行くことにする。全くお利口さんな日程だ。
タイメーは元気なおじさん二人,Photographer=梶山と僕とを見て感心している。そう,体調の悪いタイメーを放っといて二人で登るのである。
08/11(MON)'03 Alpamayo SWFace French Direct
テントを出たのは24時前だった。クレバスを警戒して途中でアンザイレン。かすかに残ったトレースを外すと膝まで埋まる。昨夜は20時頃まで雪が降っていたのだ。しばらく歩くと便意を催す。今日も年中行事が始まった。
「梶山さん,糞っ,糞っ,ちょっと待って」
梶山も負けてはいない。雪壁を登って行ったがさっぱりロープが引かれない。彼の姿も見えない。
「どこにおんの?」
いた,いた。シュルントとの隙間の少し平らなところでやっぱり糞をたれていた。
「取り付きは下の方がよかったですよ」
少し戻って,梶山がトップで取り付く。微妙なバランスで乗越した。ハングの部分はアックスが決まるがその上の雪壁はグサグサだ。俺はテンションしてしまっている。ゴボウで登る。最初からこうすればよかった。
ここからは'95年に大崩壊した雪壁を2pitch半登って,ようやくアイスクライミングが始まる。
グレードは3級ぐらいだろう。(氷の)質は,表面の10〜15cmぐらいの柔らかい氷を叩き割ると,黒く硬い氷が現れる。ここにScrewをかませる。ヘッドライトに照らされた部分だけを頼りに登って行く。
こんな時刻に真面目に登っている自分をほめてやりたい。梶山が僕の所まで登ってきた。なんだか糞したそう?いつもの二度糞だろう。
「やればいいじゃないですかー。気持ちいいですよ」
テープでチェストをつなぎ,腰のハーネスをずらす。お願いだから,垂れたロープに垂れた糞を絡まさないでね。一仕事終えた梶山の顔は明るい。これからのClimbingにも精が出る。
Alpamayoのrouteは短い。まもなく終了だろう。最後のフルートは3歩登って2歩ずり下がる根性のなさ。隣のフルートに梶山が乗り移りしばらくしてからビレイオフ。そこはもう頂稜で,ほんの10mも行けば本当のsummitだった。
トップでの展望を少し楽しむとガスがかかって冷え込んできた。おそらく下降の途中で午後になるだろう。おあつらえ向きの天候だ。これでマッシュルームが崩れる心配も少しは減った。安物のチタンスクリューを残置し,下降のスピードアップをはかる。V字スレッドなんて掘ってられない。
テントに着いたのは十分なシエスタが取れる時刻だった。
Alpamayo
08/08(FRI)'03 オー雪崩れとる!
のんびり起きるが快晴。少しもったいない気がする。French Directの取り付きを偵察に行く。少し下ったところで,豪快なSnow showerが落ちる。仕方がないのでQuitarajuの取り付きを確認に雪原を歩く。しかし暑い。
テン場に戻り,シュラフを乾し,明日の準備をする。起床は午前2時,出発は4時でいいだろう。隣のスイス人カップルは2時発らしい。
08/09(SAT)'03 Quitaraju N face
年中行事のように取り付きまでで複数回の脱糞。ハーネスをいちいち外すのが面倒だ。しかし空っぽになった下腹は気持ちがいい。
クレバスを右へ回避してまた左に戻るとちょうど壁に取り付ける幅の狭まった部分がある。
ロープ2本に3人がつながり,トップは1pitch毎に梶山と僕が交代する。ロープはハーネスに直接巻かずにカラビナにかけているので,トップ交替の際の掛け替えは楽だ。
下部の雪壁から東側のリッジに乗り越すと傾斜は一段と緩くなる。
「コンテにしましょうか?」
一応言っておく。が,そんなことすると変に張り合ってしまって疲れるのは分かっている。やっぱりこのままが平穏だ。pitch毎に休めるのがいい。
気がつくとまた一生懸命登っている。大休止だ。ここで食った青リンゴのうまさは最高だった。2時間早く出たスイス人カップルに頂稜手前で出くわす。僕たちのsummitももうすぐだ。壁を終え,100mばかり頂稜を行くとsummitだ。途中1ヶ所クレバスがあるが運のいいことにつながっている。ラッキーだった。
下りは残置Snow Barを利用し,3人ともラッペル。降り立ったときは時はまだシャンとしているが,テン場までの道のりが遠く感じられるのはいつもと同じだった。
08/10(SUN)'03 レスト
たっぷり睡眠をとったようだが,まだまだ眠い。だんだん燃えてきて,今日は早めの夕食,夕方にはシュラフに入り,22時半起きでFrench Directに行くことにする。全くお利口さんな日程だ。
タイメーは元気なおじさん二人,Photographer=梶山と僕とを見て感心している。そう,体調の悪いタイメーを放っといて二人で登るのである。
08/11(MON)'03 Alpamayo SWFace French Direct
テントを出たのは24時前だった。クレバスを警戒して途中でアンザイレン。かすかに残ったトレースを外すと膝まで埋まる。昨夜は20時頃まで雪が降っていたのだ。しばらく歩くと便意を催す。今日も年中行事が始まった。
「梶山さん,糞っ,糞っ,ちょっと待って」
梶山も負けてはいない。雪壁を登って行ったがさっぱりロープが引かれない。彼の姿も見えない。
「どこにおんの?」
いた,いた。シュルントとの隙間の少し平らなところでやっぱり糞をたれていた。
「取り付きは下の方がよかったですよ」
少し戻って,梶山がトップで取り付く。微妙なバランスで乗越した。ハングの部分はアックスが決まるがその上の雪壁はグサグサだ。俺はテンションしてしまっている。ゴボウで登る。最初からこうすればよかった。
ここからは'95年に大崩壊した雪壁を2pitch半登って,ようやくアイスクライミングが始まる。
グレードは3級ぐらいだろう。(氷の)質は,表面の10〜15cmぐらいの柔らかい氷を叩き割ると,黒く硬い氷が現れる。ここにScrewをかませる。ヘッドライトに照らされた部分だけを頼りに登って行く。
こんな時刻に真面目に登っている自分をほめてやりたい。梶山が僕の所まで登ってきた。なんだか糞したそう?いつもの二度糞だろう。
「やればいいじゃないですかー。気持ちいいですよ」
テープでチェストをつなぎ,腰のハーネスをずらす。お願いだから,垂れたロープに垂れた糞を絡まさないでね。一仕事終えた梶山の顔は明るい。これからのClimbingにも精が出る。
Alpamayoのrouteは短い。まもなく終了だろう。最後のフルートは3歩登って2歩ずり下がる根性のなさ。隣のフルートに梶山が乗り移りしばらくしてからビレイオフ。そこはもう頂稜で,ほんの10mも行けば本当のsummitだった。
トップでの展望を少し楽しむとガスがかかって冷え込んできた。おそらく下降の途中で午後になるだろう。おあつらえ向きの天候だ。これでマッシュルームが崩れる心配も少しは減った。安物のチタンスクリューを残置し,下降のスピードアップをはかる。V字スレッドなんて掘ってられない。
テントに着いたのは十分なシエスタが取れる時刻だった。
La cara SO del Alpamayo
最高にうまいアーティクーチョ(牛の心臓の串焼き)
メンバーの一人がHPに書いています。
帰国してすぐの9月に届いた定期購読の『岳人』(山の雑誌)のあるページに,サンナビキ同人の和田さんが操るSK31の記事が載っていた。2001年の忘年会で,和田さんから「吉田君,ワシ,船の免許取ったで」と言われたときも「先を越された」と思っていたのだが,この時はまさに頭をがーんと打たれたような気分になった。
翌2002年には私も船舶免許を取り,ヨットこそは先に買うぞと意気込んでいたのだが…
和田さんが艇を購入してからはクルーとして何度も乗せていただいた。
その艇を2007年5月に高知に回航してからは(ヨットに)乗れない日々が続いた。
ようやく私も中古艇を所有したわけです。
クライミングをしている(最近はさっぱりだが…)関係でロープはたくさん持っている。どれも,現役を退いたロープだが,舫や何かには使えるだろうと思って積んでいる。
※クライミングロープはロープ自体が伸びることで墜落のショックを吸収するように出来ている。だから,メインシートやジブシート,ハリヤードには向かない。
11mm×60Mが3本ある。昨年,1昨年ヨセミテで使ったもの。
他の11mm2本は25M〜30Mに切り分けた。どこかの港に行ったとき舫として使えると思う。
9mm×50Mと8.8mmの50Mが2本あるが,そのうち1本はすでにこま切れになっている。
これで,家に残っているロープは,10mm×60Mと8mm×50Mの2本になった。随分すっきりした。
(クライミング仲間のO氏が使わないロープを1.5本送ってくれた。0.5本という半端な数字は,ジムでのクライミングのために半分に切り分けたから。
※インドアクラミングでは壁の高さが制限されるので,ロープの長さは25Mで間に合うことが多い。)
マストに登る時のためにヨットに積んでいる。
シットハーネス(腰のハーネス)とオートストップ式のビレイ兼下降器(降りるときに使う),アッセンダー(2個でワンセット,ロープを登るのに使う),ディジーチェーン,アブミ(漁港に船を着けたときに岸壁を登る必要もあるだろうかなってことで3セット),スリング,安全環付カラビナ。
高い所はやっぱり気持ちがいい。
最高にうまいアーティクーチョ(牛の心臓の串焼き)
メンバーの一人がHPに書いています。
帰国してすぐの9月に届いた定期購読の『岳人』(山の雑誌)のあるページに,サンナビキ同人の和田さんが操るSK31の記事が載っていた。2001年の忘年会で,和田さんから「吉田君,ワシ,船の免許取ったで」と言われたときも「先を越された」と思っていたのだが,この時はまさに頭をがーんと打たれたような気分になった。
翌2002年には私も船舶免許を取り,ヨットこそは先に買うぞと意気込んでいたのだが…
和田さんが艇を購入してからはクルーとして何度も乗せていただいた。
その艇を2007年5月に高知に回航してからは(ヨットに)乗れない日々が続いた。
ようやく私も中古艇を所有したわけです。
クライミングをしている(最近はさっぱりだが…)関係でロープはたくさん持っている。どれも,現役を退いたロープだが,舫や何かには使えるだろうと思って積んでいる。
※クライミングロープはロープ自体が伸びることで墜落のショックを吸収するように出来ている。だから,メインシートやジブシート,ハリヤードには向かない。
11mm×60Mが3本ある。昨年,1昨年ヨセミテで使ったもの。
他の11mm2本は25M〜30Mに切り分けた。どこかの港に行ったとき舫として使えると思う。
9mm×50Mと8.8mmの50Mが2本あるが,そのうち1本はすでにこま切れになっている。
これで,家に残っているロープは,10mm×60Mと8mm×50Mの2本になった。随分すっきりした。
(クライミング仲間のO氏が使わないロープを1.5本送ってくれた。0.5本という半端な数字は,ジムでのクライミングのために半分に切り分けたから。
※インドアクラミングでは壁の高さが制限されるので,ロープの長さは25Mで間に合うことが多い。)
マストに登る時のためにヨットに積んでいる。
シットハーネス(腰のハーネス)とオートストップ式のビレイ兼下降器(降りるときに使う),アッセンダー(2個でワンセット,ロープを登るのに使う),ディジーチェーン,アブミ(漁港に船を着けたときに岸壁を登る必要もあるだろうかなってことで3セット),スリング,安全環付カラビナ。
高い所はやっぱり気持ちがいい。