日の出まではあと10分であるが,待てない私は航海灯を点けて舫を解いた。
風予報ではずっと南風がやや強い。今日は14日で三本松の『しよの湯』は定休日(4と9の付く日)と富島に行く真っ当な理由が揃った。
潮に負けて4kt台が続くが,そのうち鳴門海峡を抜けてくる南風に助けられるだろう。明石の潮が味方してくれるのはおそらく11時以降かな。贅沢を言っちゃいけない。今だって真上りではないのだから。
益々いいじゃないかと,オーパイに休憩いただき本当に久しぶりにウインドベーンに登場願った。出る前にAirvaneをセットしておいたのですぐに使える。
とまぁ調子いいのも束の間でしたが。
明石海峡の東流に引かれてきたので艇速は2ktアップでご機嫌な機帆走だ(途中で風が落ちたので帆走は中止した)。
難なく富島漁港に着いた。
潮位は今から20cm下がるだけだから楽だね。
飲み屋は夕方からしか開かない。ヨットでしみじみやるかな。
小姓町(山形市)という歓楽街,東北最大のキャバレーと言われる『ソシュウ』があった。道路を挟んで表側のドアだけが数店並んでいる一角があり,その中の一軒『サンライズ』というスナックに大学1年生の頃は入り浸りだった。スナックに行くようになったのには理由がある。高専卒業編入で秋田大学に入学したウシが夏休みも終わり秋田に帰るので,高専中退大検で高卒資格を得て,神戸大学に入学したキクオと帰阪していた僕とで遊びに行った。ああ,僕は高専中退で専門科目は不可だらけだったが教養科目はすべて可以上,かろうじて高校3年修了資格があったので大検は必要とせずに大学受験資格はあったのだよ,自慢にもならないが。
僕は山形に帰る途中に秋田に寄り道したわけで,キクオより一足先に山形に帰ったが,遅れて山形にやって来るキクオが奥羽本線車中で声をかけた女性が『サンライズ』の従業員で,まあ,乗せられたわけだ。キクオが山形に着いてすぐにその店に行ったが,そのケイコちゃんという女性の可愛いこと…とキクオが去った後も通う。その後ケイコちゃんは店を辞め,もう一人いた若い子もしばらくしてから希望通りの美容師になり辞めたが,居心地のいい飲み屋だったので僕は店には出向く。
そこのママさんだが,実は2ヶ月ほど前に見かけたことがあった。山形駅前にニチイのビルがあってそこの屋上がビアガーデンになっている。僕がそこでバイトをしている時に客としてやってきたのがママさんだった。ひときわ目立ったので一度見たら忘れない。
ママさんは僕とさほど歳は変わらないが本当によくしてもらった。大阪から友人が来た時には居酒屋に連れて行ってくれたりもする。暑い夏,ママさんを大学のプールに呼んだことだこともある。その時の女子学生の視線が凄かった。そりゃそうだ,明らかに学生じゃないし玄人さん丸出しだったから。
ある時,ママから,
「お客さんと外で飲んでから(同伴で)店に入るから適当にやっといて。」
と店の鍵を渡された。店でバイトをしていたわけでもないのにだ。酒屋に注文を入れ,さて次は「お通し」を用意しないといけない。その時に「お通し」として作ったのが「だし」である。
さて,店を開けてすぐに明らかに玄人のお姉さんが入店された。
「ジンライム。」
グラスを間違ったらしいが,お姉さんは優しく指摘してくれた。
「ママは?」
「後から来ます。」
「そう…」
「(ママ年)幾つ?」
「24だと思いますす。」
「そう,若いのね。」
お姉さんだって相当若いのに…
しばらく沈黙が続いた。こりゃやばいぞ…
「死にたい…」
どこに視線を合わせるまでもなく,そして誰かに言うのでもなく,お姉さんがつぶやく。聞こえないふりをして,僕はただひたすらおしぼりを丁寧に巻いていた。
…とまぁ「だし」にはかくなる思い出があるわけですね。
16時から開いている『志田』へ。
女将さん,おおっ!米寿だってさ。いつまでもお元気でね。
小豆島草壁県営公営桟橋 05:45
富島漁港 12:45(38.51NM)
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